スイートオアシス 菓匠Shimizu

シェフのブログ

清水慎一の頭と心の中にある様々な夢、想い、思考、日々の出来事の中で感じたことを綴ってまいります。

  • 当たり前のことを当たり前にやる

    12月17日 社員共有メール内容抜粋



    当たり前のことを当たり前にやる。

    それがすべての基本であり、一番難しいことでもある。

    でも、当たり前のことを当たり前にやることでしか、本当の楽しみも喜びも夢も感動も成長も幸せも得ることはできない。


    挨拶、返事、掃除、礼儀礼節、手洗い、身だしなみ、時間厳守、規則を守る、
    など、当たり前のことが知らず知らずの内に崩れているから、その積み重ねが甚大な害となって表面化する。

    そのシグナルがコンプレ(お客様からのお叱り=天の声)。
    だからコンプレは有難い。現状を見直して改善できる。


    コンプレや、今自分に起こっている問題や悩みは、今の自分のよくないところを教えてくれる。
    それを超えるために今の問題が用意された訳だ。
    意味なく問題は起こらない。すべて必要必然グッドタイミングで起こっている。
    この出来事から何を学ぶのか、それを試されているんだ。


    そして、すべての問題は感謝があれば解決する。

    感謝する心とは素直な心。自分の非を認めて謝れる心。相手を許す心。

    感謝する心が欠けはじめたときに、必ず問題は起こるようになっている。


    卑屈、ひがみ、ねたみ、そねみ、ふて腐れ、自虐、面倒くさがり、反抗、反発、不満、陰口、被害妄想、
    それらは全部感謝のない心から生まれている。


    当たり前のことを当たり前に実践継続することで感謝の心は育まれる。


    感謝する心をもちましょう。
    それが我々の最大にして当たり前の指針だ。


    感謝があればすべての問題は解決する。

    そう肝に銘じて、今目の前に現れた「問題」に立ち向かっていこう。



    慎一

  • 面倒くさいと思ったら迷わずやる

    12月16日 社員共有メール内容抜粋




    寄り添うとはどういうことか?

    自分が人に求めてばかりの者は人に寄り添うことなどできない。

    自分は人にわかってもらえてない、自分は人に認めてもらえない、
    そんな風に考えているうちは、きっと人からわかってもらえたり、認めてもらえたり、本心から誉めてもらえたりすることはないだろう。


    今日も、たくさんのお客様のご来店がある中で、特注や時間外のお客様の当然ながらいらした。
    お客様は喜んでくださり、驚き、感動したと言ってくださる方もいた。
    嫌な顔もせず、当然のことのように対応してくれたみんなに、本当に感謝してる。ありがとう。

    みんなの中に、一人でも「面倒くさい」「なんでそんなことしなきゃいけないんだ」と思っている人がいたら、
    お客様が感動することはなかったと思う。


    カフェのイベントも同じだし、普段の仕事の中でも同じこと。

    面倒くさいと思いながら、嫌々やっている人に魅力はあるだろうか?そんな人や店に行きたいと思うだろうか?

    面倒くさいというのは、自分都合で物事を考えているからだ。
    そして、自分のことが先に満たされないと、人に何かをしようとは思えないかわいそうな人種だ。


    そもそも自分もみんなも全員誰もが、
    人に面倒くさいと思わせ、世話を妬かせ、手こずらせてきたはず。

    その恩を一瞬の出来事によって忘れて、自己都合でしか考えられなくなってしまうことはあまりに悲しい。


    もちろん、誰もが感情に流されるときがある。
    でも、それをコントロールしながら『損をしよう』と思える会社と社員を目指すと決めたんだ。


    人を喜ばせたり、感動させたり、惚れさせたりする行動は、例外なくすべて面倒くさいプロセスがあるはずだ。
    でも、その面倒くさいことをやるからこそ、自己成長もできるし、他喜力になる。
    それを繰り返すから、面倒くさいことがいつしか面倒くさいことではなくなってくる。


    別に会社の評価や売上を上げたいから、そういうことをしようと言っているのではない。
    決してそうではない。

    みんなに魅力的な人間として、幸せに生きて欲しいと願うだけだ。
    人から必要とされ人の役に立ち、それが最高の幸せなんだと気付いて欲しいだけだ。



    人の喜びも、自分の成長も、『幸せ』というものは『面倒くさい』ことの先にあるってことを、しっかりと理解してもらいたい。


    面倒くさいからやらないんじゃない。
    面倒くさいからこそやるんだ。だから面白いんだ。
    それを仲間と協力しあってやればもっと面白い。

    面倒くさいことを進んでやることが、一番の近道なんだ。


    自分都合ではなく、他人都合で考える。
    その人の立場になって考える。それが寄り添うということ。


    自分がしてもらってからやるのではなく、
    自分がするから人からもしてもらえるようになるかもしれない。
    してもらえないかもしれない。

    見返りを求めずに、施すことだ。
    させていただく、という利他の心。

    求めてばかりの甘えん坊を卒業して、まずは与えられる人にみんなでなろう。


    求めないということは、無関心になることではない。ふて腐れて何もしないことでもない。


    みんなならわかるだろう。

    素直な心で感謝と謝罪を伝えられる、純心でありたい。


    明日も様々な期待をもって来てくださるお客様がたくさんいる。

    期待され、期待に応えていける組織でありたい。


    それが成長であり、一番の幸せなんだ。


    慎一

  • 人間万事塞翁が馬



    Shimizuスタッフのみんなへ
    今日の終礼の話です。
    休みの人のために、ここで共有します。



    人間万事塞翁が馬  (じんかんばんじさいおうがうま)

    意味:幸福や不幸は予想のしようのない事の例え


    中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
    さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

    ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
    この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
    ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

    「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

    そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
    そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

    「このことが災いにならないとも限らないよ。」

    しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
    近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

    「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

    1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
    城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
    そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
    しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

     この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。

    「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。
    「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

    「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」
    という事です。


    参考資料:http://www.mizz.jp/




    すべての出来事は、必要必然グッドタイミング♪

  • 知っておくべきこと

    Shimizuに使ってもらえるだけで涙が出るほど嬉しいと言って生産してくださる農家さんの想い


    Shimizuの最高のアピールになるようにと、どしゃぶりの雨の中、出版本の写真を撮ってくれる人の想い


    意を決して勇気を出してお菓子教室にはじめて来てくださった生徒さんの想い


    種類もよくわからないけど、孫の喜ぶ顔を見たくて、バースデーケーキを注文してくださるお客様の想い


    昨日の失敗を取り戻そうと人知れず決意して今日に臨んだ後輩社員の想い


    なんとか成長して欲しいと、愛情を持って叱ってくれる先輩社員の想い


    みんなの幸せのために会社を経営する経営者の想い


    毎日帰りが遅いと心配してくれる両親の想い



    今日だけでも、たくさんの人のたくさんの想いを浴びながら過ごしたはず。


    その想いを今日君たちはどのように受け止め、どのように表現し、どのように行動しただろうか。


    人の想いを汲む

    人の想いに寄り添う

    人の想いを受け取る


    今日はどんな学びの一日だっただろうか。

  • 8月15日に思うこと


    今日8月15日は、終戦記念日でもありますが、
    2年前に亡くなった、大好きだった祖母晴子の誕生日です。

    8月15日は、日本を守ろうと先人たちが懸命に生きて殉死した特攻隊の方々、
    祖母をはじめ、自分のご先祖様に思いを馳せる日です。


    『国が滅びる三原則』というものがあるそうです。

    それは、

    ①歴史を忘れた国
    ②文化を忘れた国
    ③人を尊ぶ心を忘れた国

    だそうです。


    僕の祖父祖母は4人とももう亡くなってしまいました。
    僕の身内には戦争を知っている人はもういなくなりました。

    祖父が生きているとき、よく戦争の話を聞かせてもらいました。
    でも、あと十年もすれば、日本という国に戦争をしっている人がいなくなってしまいます。

    それが、「歴史を忘れた国」になってしまうようで不安になります。

    今朝も朝礼で、弊社社員に、今日が何の日かと質問したところ、答えられない社員が数名いました。
    恐ろしいことだと思います。また、社内でそういう教育を出来ていないことを恥じます。



    実際の戦争を知らなくても、今この時代に生きる僕たちは知る責任があると思います。
    自国の歴史を知る努力、そして後世へ伝える努力、その責任を感じます。


    またそれは、国だけではなく、自社についても同じです。
    自社の歴史を知り、伝え、守り、継承していくこと。
    それが責任だと思います。

    そして自家もそうです。
    自分の家族の歴史を知っていくことは何より大切なことです。


    一年に一度かもしれませんが、今日はそんな日にしたいと思います。


    清水慎一